@article{oai:doshisha.repo.nii.ac.jp:00016464, author = {小池, 一郎 and Koike, Ichiro}, issue = {3}, journal = {言語文化, Doshisha Studies in Language and Culture}, month = {Jan}, note = {大月氏の人支謙は、三国時代の呉において、多くの仏典を漢訳した。その中の一つ『法句経』はパーリ語『ダンマパダ』を原典とする(維本)が、一部分は支謙以外の人が『ウダーナヴァルガ』から訳したもの(竺本)である。維本では老子の言語である「恬惔」が訳語として用いられている。これは想爾注本『老子』から来ていると推測され、老子本来の意味を正しく継承している。支謙は仏典漢訳に当たって「恬惔」の他に老子老子「無為」「自然」「聖人」などの老子言語を多く用いた。これらは「守一」に見られるように、王弼の老子注を経由したものであると推定される。そして支謙は、原典に相当する語が無い場合でも、老子言語を使っている。支謙は王弼老子注から衝撃を受けたのである。これは、『法句経』の訳語「根原」が王弼注から来ていることにも明らかである。支謙はパーリ語経典『スッタニパータ』の「アッタカヴァッガ」をも漢訳している(『義足経』)が、その訳し方は、同じ訳者とは思えぬほど、『法句経』とは異なっている。その原因は、やはり王弼注の衝撃に求めるべきであろう。支謙は始め、六言の韻律で、老子の影響も受けずに、直訳に近い形で『義足経』を訳したが、王弼注の衝撃をうけてから、四、五言主の韻律で、老子言語を多用し、伝統中国に沿った形で『法句経』の翻訳を完成させた。しかしながら、王弼注も、老子本来のものを多く捨て去っているのである。, 大月氏人支谦,在三国吴时代,把很多佛教经典翻译成了汉语。如其中之一的『法句经』,原书是把Pali语《Dhammapada》(维本),但是一部分是支谦以外的人从《Udanavarga》翻译成的(竺本)。维本的译词中使用了老子的「恬惔」一词。这一词是从想尔注《老子》而来的,它正确地继承了老子本来的意思。支谦把佛教经典翻译成汉语时大量地使用了“无为"“自然"“圣人"等老子语言。我推测这些是跟“守一"一样,经由王弼的〈老子注〉而来的。并且,支谦在没有与原书相应译语的情况下,也使用了老子语言。由此看来,支谦是从王弼〈老子注〉受到的冲击。这于《法句经》的译词“根原"亦从王弼注而来之事上也可看出。支谦把Pali语经典《Sutta-Nipata》里的〈Atthaka-vagga〉也翻译成了汉语(《义足经》),可是翻译方法与《法句经》完全不同,几乎难以相信系同一翻译者所为。这个原因还是应该从王弼注的冲击寻求。开始,支谦没有受到老子的影响,用六言韵律,以跟直译体差不多的形式翻译了《义足经》,不过,从王弼注受到冲击之后,他开始用四言或五言韵律,并使用很多老子语言,沿着中国的传统形式而完成了《法句经》的翻译。然而,我认为即使是王弼注也是把很多老子本来的容姿消磨掉了的。, application/pdf}, pages = {485--518}, title = {『法句経』と『老子』をめぐる写本上の若干の問題について}, volume = {8}, year = {2006}, yomi = {コイケ, イチロウ} }